心の仕事
境目
問題
私の意志
自由意志
悟り
幸せ
分離
逆説
友人
子供
さあ目の仕事は終わった。心の仕事にとりかかろう。 リルケ
正しいとすれば 正しくない事が生まれ
正しくないとすれば 正しい事が生まれる
これがあるから それが生じ
これがあるから あれも生じ
あれがあるから どれも生じる
あれも これも それも どれも 皆良いとすると
これ あれ それ どれの境は消える
境が無くなれば
あれと これと それと どれの判断に迷う事は無くなり
正しい正しくないかの判断に惑わされることも無い
だから これも それも あれも どれも一心同体なのだ
その時 人はあらるものへの愛おしさに
限りなく限りなく限りなく繋がってゆく
問題を生み出した時と同じ意識のレベルでは
その問題は解決できない
アインシユタイン
私は私を永遠に探し続ける物語の主人公なのだが、幸いにもこの主語見つけようとするならば、「意志」こそがその道案内をしてくれるだろう。
だが人格の求める意志と本質が求める意志とには違いがある。とかく私たちは相対の世界を如何にうまく生きられるかに役立つ意志を必要とするが、本質は相関の世界で生きる智慧を意志とする。
私を表す力を相対の用語として使うならば、主人公は孤独な旅人となる。もし幸いにそうでないなら、探し続けた主人公は普遍的な神との共同創造者となる。
意思の自由とは、
自分がしなければならない事を
喜んで行う能力の事である。
ユング
師匠と弟子がおりました。弟子は修行に励みましたが、一向に悟りを得る方法を教えてくれないので、とうとう師匠に言いました。「いつになったら知恵を授けてくれるのでしょう」
師匠は弟子にこう言いました。「これから一週間ずっと天を仰ぎなさい。そうすればきっと教えてくれるだろう」
弟子はそそくさと出て行きました。天から何かの啓示が降りてくるかもしれないと思いながら・・。
弟子は毎日空を見上げ、一週間後顔を落として言いました。
「ずっと空を仰いでいましたが、啓示はありませんでした。
一日目は首が痛くて修行は辛いと思っていました。
二日目は雨でズブ濡れになって、なんと間抜けだと思いました。
三日目は星が奇麗で少し嬉しかったです。故郷の事を思い出して胸が少し熱くなりました。
四日目はふと風の運ぶ臭いに気づきました。花や草や遠くの夕餉もわかった位です。
五日目は天気が良くて怒られるかもしれませんが、修行に頭を悩ませているのが馬鹿みたいだと思いました。
六日目はとうとう寝転んでしまいました。でも土の感触や虫の動きが見えてきて結構飽きませんでした。
七日目は最後なので啓示をじっと待ちましたが何も起こりませんでした。いつもと同じ風景の中で人が笑ったり怒ったり、色んな人の生活をぼんやり眺めていました。なんだか何もせずにじっと啓示を待って空を見上げている自分が少し愚か者だと思いました。
師匠はにっこりと微笑んでこう言いました。
「一週間でそこまでわかったなら上出来だったじゃないか」
弟子は一瞬ほろ苦い顔をしましたが、稲妻が走ったように顔を上げて喜びました。
「わかりました師匠!! 私が何者かわかりました!!!!」
幸せになるには秘訣があります
それは起こる事を良い方に受け入れること
そうすれば幸せを探さなくても
幸せの方が貴方を見つけてくれます
補記
普通に云えばこの子を駐車場で拾いました。
が、じっと見つめられると
逆にこの子に見つけられたような気になります。
愛の反対は 憎しみでしょうか
信頼の反対は 裏切りでしょうか
喜びの反対は 悲しみでしょうか
絆の反対は 別れでしょうか
言葉は不思議です
反対があって その反対がより理解できます
でもそれは知識と認識の為の言葉で
ハートの言葉ではありません
別れるのが嫌で 絆を求めるのではなく
悲しみたくないから 喜びがあるのではなく
裏切られたくないから 信頼するのではなく
憎しみたくないから 愛するのでなく
愛も信頼も喜びも絆も それだけでいいものだからです
反対の言葉に怖れる事が無くなったら分離の幻は無くなります
あるのは もとから すべてはひとつだけなのです
人は神によって授けられた選択の意識が現れてくるまでは
運命の輪に縛り付けられている。
その時、自分を束縛すると同時に
その束縛を断ち切るパワーを与えてきた力の
逆説的な性質に気づく。
もし必死の努力にはつきものの苦痛を選び、
ちぎれた輪から上へと延びていく螺旋状の
未知で出くわす柔の危険を受け入れればであるが。
R.GREEN
友人を持つ必要があると考えてもいいが
望んでいない関係が必要なのではない
友人は選ばなければならないと考えてもいいが
本当に望んでいる関係を絶つべきでもない
愚かな時は 友人と居る方が良い時もあるが
賢明でいるには 一人でいる方が良い時もある
だがこれだけでは友人について不十分な理解だ
知っておいて欲しいのは
友人が何人であれ 愚かか賢明かであれ
貴方の立場や欲求や見た目や単なる振る舞いに左右されない
友人がいるという事だ
真摯に最も高い目的をめざし
誠実に貴方自身を果たそうとしている時には
最も良いタイミングでこの友人が現れる
その友人とは 人格ではない本質の私である
その友人には名前はない
だがその友人は
仮に世界中が貴方を否定したとしても
必要な時が到来したら 一緒に奇跡をおこすだろう
あなたの子供は、あなたの子供ではない。
彼らはそれ自身を熱望する生命の息子、娘なのだ。
彼らはあなたを通じてやってくるが、
あなたから来るのではない。
彼らはあなたと共にはいるが、
あなたに属しているのではない。
あなたは彼らに愛を与えても、
考えを与えてはならない。
彼らは自分の考えを持っているのだから。
あなたは彼らに体をあたえても、魂を与えることはできない。
彼らの魂は明日の家に住んでいるのだから。
あなたは、夢の中ですら、その家を訪れることはできない。
あなたは彼らを愛そうとしてもよい。
けれど、彼らにあなたを愛させようとしてはならない
人生は後戻りもできず、
また昨日にしがみつくこともできないのだから。
カーリル・ジブラン
事 業 案 内
言葉のしずく
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